「北斗の拳」ファルコの修羅の国での、この誇り高き最期の場面!!
「北斗の拳」でファルコが遂に、最期の力を賭けてこの修羅に挑む!!
引き続き「北斗の拳」修羅の国編について次々と話を進めていこうと思うのですが、前回にも言ったとおり、今回はまさにファルコの最後の死闘のクラスマックス、という一大場面についてです。
今更ではありますが、「北斗の拳」新章における一大戦士のファルコが、この修羅の国に拉致されたリンを追って上陸するまでには、汚れた野心に満ちた覇者の洗脳により、その心を捨ててまで悲劇の道を歩んできたのです。
それがリンと出会い、元斗の戦士としての宿命に目覚めてからケンシロウと凄絶にぶつかり合ったその末に、幽閉されていた天帝の正体としての存在であるリンの双子の姉妹のルイとも宿命の再会を果たしました。
勿論、ファルコとしてはケンシロウとの死闘により、それに相応しいだけの重傷を負っていたにも関わらず、ファルコ自身が捨て去って来た人としての本来の心を、取り戻していくことにもなるのです。
一方で、「北斗の拳」新章においては、ファルコという存在そのものが、平和のために闘う者達にとっての最大の敵の一人であった、というのがひとまずの私なりの第一印象でした。
がしかし、この「北斗の拳」新章における原作を読むにつれて、私としても今更ながらにもファルコという人物の役どころがいかに高い価値のあるものか、段々と教えられてきたようにしみじみ感じております。
何せ、瀕死の重傷を負ってまでなお、名もなき修羅に挑んでいく姿は、同じ「北斗の拳」の重役としては、例えばラオウとの宿命の死闘を終えた後のトキの姿とも重なるところがあったようにも思えます。
今回のファルコの話題とは逸れますが、このトキの最後としては、死期が目前に迫ったところで天狼星のリュウガの非情な襲撃を受けます。
で、そこに現れたケンシロウの拳に倒れたリュウガと共に、この乱世に平和をもたらす役目をケンシロウに託した上で、誇り高き殉死を遂げたのでした。
それが今回のファルコの最期の場面としては、この名もなき修羅との闘いによって、さらに感極まるべくクライマックスとなっております。
「北斗の拳」でのファルコの、修羅との誇り高きクライマックス!!
仲間達に報いるべく使命を果たそうと、修羅の国に渡ったファルコでしたが、愛好家によっては、このファルコの最期がいかにも無念で不本意であったかの様に思われるかも知れません。
確かに、私としてもこの名もなき修羅に関しては、同じ「北斗の拳」のキャラの中でもケンシロウにとっての名立たる強敵達とはほど遠い印象を持ってはいました。
がしかし、「北斗の拳」の新章の物語に対する、その密度の高さをより一層教えてくれた存在でもあった、という風な生き様でもありました。
以前も話したように、修羅の国にて生を掴んできた、というだけでもこの修羅の力量そのものが如何なるものであったか、そう考えただけでも少なくともファルコの対戦相手としては役不足ではなかったかな、ってところです。
ここでまずこの修羅が、ケンシロウに対して使った技についてですが、こん棒に手裏剣の様な武器を自由自在に自らの手足同様に操って、優勢に立てるかのように思われました。
言うまでもなく、瞬く間に見破られた子供騙しでしかなかったのですが、ファルコを圧迫したというだけでも、この修羅の役どころというものが決してザコ同様ではなかったことを物語っております。
いかに義足で、瀕死の重傷を負ったファルコといえど、「北斗の拳」の少なくともザコのボスキャラ当たりの相手であれば、ごく普通に倒せていたはずです。
したがって、いかにケンシロウにとっては敵ではなかったとはいえ、一方のファルコとしては、どうせ最期を迎えるならあくまで誇り高く高潔に決めたい。
それほどまでの揺ぎ無き信念に基づき、ファルコは遂にその誇り高き最期を迎えるに相応しいだけの、究極の決断をしたのです!!
ケンシロウに対して、刹活孔という、一瞬の生を呼び覚ます秘孔により、名もなき修羅との闘いに殉じることを申し出たのです!!
このファルコの意向とおり、ケンシロウが刹活孔を突くことにより、遂に息の詰まるべく最期の闘いがそこに展開されました。
一方の修羅としては、浜を這う砂蜘蛛のような態勢にて気配を消し、ファルコの不意を突こうというのが、狙いだったようです。
対するファルコとしても、元斗皇拳の秘奥義によりまずは修羅の動きを見切るという戦法に出ました。
その闘気にこそ神髄があるという、元斗皇拳の技を駆使しつつ、ファルコは姿を現した修羅に対して全霊を込めた元斗猛天掌なる奥義にて、修羅の突きを見事に受け止めました。
いよいよ全ての動きをファルコにより見切られた名もなき修羅は、全ての技を封じられてしまいました。
まさにこの時、ファルコが生涯の全てを賭けた、全身全霊の黄光刹斬なる秘奥義こそが、高潔で誇り高き最期を飾る場面となり、この修羅もファルコの最期と共に、ついに砕け散ったのです!!
「北斗の拳」でファルコが、修羅の国にて受け取った最期の幸運
かくして、ファルコの誇り高き最期を、ケンシロウがその生き様を称えるようにして見届ける結果になるのですが、ここでまた、最期の最期にファルコがある幸福な出来事を、伝書鳩により知らされることになるのです。
というのも、ファルコの恋人のミュウが、子供を身ごもった、という朗報だったのです!!
即ち、その子こそが、元斗皇拳伝承者になるべく後継者であったのです!!
まさしく、この場面もまた、「北斗の拳」においてはあの盲目の仁星のシュウが、サウザーの聖帝十字陵にて視力を取り戻し、ケンシロウの成長した姿を目の当たりにできた場面と見事に重なり合っております。
「神が最期に願いを叶えてくれた」というに相応しいことこの上ない幸運もまた、ファルコが最期に見届ける型になったのです。
以上のようなところが、元斗皇拳伝承者としての宿命を背負った、ケンシロウの強大無双な強敵の一人であったファルコの高潔なクライマックスだったのです。
ここで1つ、私としてもファルコの生涯について思ってきたことがあります。
というのは、「北斗の拳」においては、ラオウと同じく自らの行いに対して全責任を抜かりなく果たした、そんな代表的な1キャラでもあったな、というところです。
実はこのファルコとは「北斗の拳」における失敗キャラだった、と強く主張するような声もどこかにあったのです。
そういえばまあ、なぜファルコほどの人物があんなジャコウごときにザコの為に人生を狂わされたのか。
このことを考えると、なぜファルコがあの天帝の村にラオウが出向いた場面にて、ラオウの助言通りジャコウに止めを刺さなかったのか。
何とも言えず悔しくてたまらないとは思います。
がしかし、今回に至るまでずっと話してきたように、ファルコとしても茨の道を歩みつつも、立派に自らの役目を全うしてきたことは、言うまでもない真実です。
この視点からしても、まさにファルコとは「北斗の拳」における負け組というものとは程遠く、あくまで素直にその生涯における誇り高き実録を、高く支持するものだと考えずにはいられません。
「北斗の拳」におけるファルコの誇り高き生き様もまた、下記よりテレビドラマにてご視聴いただけます。👇
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