ラウドネスのドラマー・樋口宗孝氏が築き上げた、我が国が誇る無敵道
これまでのラウドネス関連の記事としましては、ギターの高崎晃氏にヴォーカルの二井原実氏、そしてドラマーのあんぱんこと鈴木政行らについて、各々語り続けて来ました。
それが今回としましては、二井原氏に高崎氏らと共に、全世界レベルにおいて絶対不可欠と絶賛すべき、オリジナルメンバーとしてドラマーを担当し、且つのリーダーとしてラウドネスを牽引し続けてきた故・樋口宗孝氏による生涯を語っていこうと思います。
元々樋口氏も、1981年のラウドネス以前には、高崎氏や影山ヒロノブ氏らとレイジーなる、世間一般に認知されてきたラウドネスとは大きく路線の異なるグループにて、音楽活動をしておりました。
即ち、そのレイジーなるグループを簡潔に表現しますと、まさに70年代当時の流行に乗っかった、典型的なアイドルグループというカラーでした。
当時デビュー直後のレイジーにおいては、言うまでもないですがメンバー達は誰しもが、10代~20前という、初々しさに溢れた好男子達でした。
そんな彼らとしましては、次第に自分達の進んでいる路線に対して、「我らの原点とは、果たしてどのようなものであったか」と次第に疑問を抱くようになっておりました。
こうして、彼らの原点を振り返っているうちに、樋口氏と高崎氏は次第にハードロック・ヘヴィメタルへの路線を目指すようになり、1981年にラウドネスを結成、これにより我が国における新たな音楽文化の改革が始まったというべきところです。
したがってこれより、ラウドネスのドラマーとしてだけではなく、一方ではまさしく「音楽界のビジネスパーソン」としても支持され続けてきた、樋口氏による生き様を私なりにザッとではありますが、見直していこうと思います。
ラウドネスのドラマーを務めつつ、時代の主導者でもあった重要人物
ここでひとまずは、樋口氏による資質に関する理解をより一層高めるためにも、ドラマーとしてのスキルは如何なるものであったか、を振り返っていくとします。
まさにラウドネスのバンド名が証明する通り、少なくとも我が国のドラマー達からすれば、特有のラウドなプレイが何よりの売りであったのは、言うに及びませんでした。
それも、ただ単にラウドというだけでなく、1音1音がそれぞれ骨太で決してブレることのない音質で、聴く者達の鼓膜を揺さぶり続けてくれたものでした。
これほどまでのドラマーが、高崎氏による超絶なギタープレイ、そして二井原氏による、大勢の日本人ヴォーカリストが決して真似できないような声量と声域に溢れた絶唱との融合により、「これぞ我が国特有のロック文化である!!」とまでのサウンドを築き上げてきたのです。
そんなラウドネス特有のサウンドを演出しつつも、彼らは我が国を先導すべくロックバンドの代表格として、80年代の全盛期より世界を舞台に、誇り高き闘いを継続してきました。
また既にお話してありますが、勿論ラウドネスとしても凄絶な時代の荒波を生き抜いて来ました。
※ラウドネス脱退後もドラマーとしての資質を決して失わなかった樋口氏
ちなみに樋口氏としてもまた、90年代のあの時期においては、二井原氏らと共にラウドネスを脱退していた事もあります。
にもかかわらず、樋口氏らも決して時代に埋もれてしまったわけではありませんでした。
樋口氏と二井原はあの時期、SLYというグルーブにて活躍しておりました。
そう言えば、例えばラウドネスが全世界進出を果たした、80年代の全盛期における「サンダー・イン・ジ・イースト」とは一見大きく異なった、やや当時のモダンなサウンドを意識した音楽路線、みたいな印象がありました。
実は言いますと、ラウドネスとしてではなく、このSLYにてドラマーとしての樋口氏を私が生れて初めてライブで観たのが1995年、当時ちょうど20歳で大学生の時でした。
いかに路線は違うと言えど、少なくとも樋口氏のドラマーとしてのプレイは、決して小手先のテクに頼り切るものではなく、むしろこれぞロック界のドラマーとしての原型である!! との主張が、身に染みて伝わって来ました。
まず、ハードロック・ヘヴィメタルのドラマーとして何よりピンと来るプレイとしては、俗に「ツーバス」と称される、高速なバスドラムが醍醐味とされてきました。
がしかし、樋口氏については、あくまでツーバスに頼らずにその威を発揮するところは、例えばアイアンメイデンのドラマーであるニコ・マクブレインとも共通したスキルでした。
よって以上のような型で、樋口氏がドラマーとして築き上げてきたサウンドは、2000年にラウドネスに復帰してからも、決して時代に埋没せず色褪せることなく、生き続けて来ました。
またまさにラウドネスが時代の荒波の変化を、茨の道を突き進むがごとく切り開いていけたのも、樋口氏によるビジネスパーソンとしての恩恵に拠るものだとも、語り継がれてきました。
ラウドネスのドラマー・樋口宗孝氏の半世紀を無駄にせぬためにも
21世紀に入りラウドネスがオリジナルのラインナップにより新たに快進撃を再開してきたな、と思い続けてきた2008年、ラウドネスにとっていや、日本の音楽界にとっての晴天の霹靂、と言わずにはおられないような激震が走りました。
時代を先導し続け、ジャンルを超えたアーティスト達より支持されてきた重鎮・樋口宗孝氏が肝細胞癌を発症、その2008年の11月30日に、悲しくも50歳の誕生日を目前に他界してしまいました。
このニュースは、当時あらゆるスポーツ新聞社の紙面に目立つような型で掲載されたのを、今も覚えております。
同年12月24日、彼の満50歳の誕生日にあたる日にお別れの会が開催されました。
ラウドネスのメンバー達は無論、ルナシーの真矢さんに布袋寅泰氏らが出席、そして海外の名立たるヘヴィメタル・ハードロック界屈指のドラマー達からも、追悼のメッセージが届きました。
かと言って、嘆き悲しんでばかりはおられず、生前樋口氏がくどいようですが、ただ単にラウドネスのドラマーとしてのみならず、あくまで日本社会の一大先導者として、我々に何を残してくれたのか。
みたいなところを何度も復習しつつ、いつの時代も決して荒波に飲み込まれずに生き続ける、不滅で不朽なる「無敵道」を教えてくれた樋口宗孝氏が存在したことを、我々は日本人として誇りたいところです。
樋口宗孝氏がラウドネスのドラマーかつリーダーとして、世に残し続けて来てくれた最高傑作達の数々は、以下よりご視聴いただけます👇
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