ケンシロウ対サウザー、絶対不可欠な最大のクライマックスへ!!
ケンシロウは生涯の恩人のため、サウザーはあくまで非情を貫く姿勢で
いよいよですが、今回としましてはケンシロウ対サウザーの「北斗の拳」史上においてはまさに絶対不可欠な場面の紹介です。
どこからどう見ても最大のクライマックスの場面であることは間違いないというまでの、息をのみ込むような決着を語り尽くしていこうと思います。。
ケンシロウ対サウザーのかの名場面並びに名ぜりふ達に関しては、「そんなもんとっくに分かっとる」という愛好家達も少なくはないかも知れません。
がしかし、少なくとも私自身としては何度も何度も復習せずにはいられないほど、理屈抜きにしてお手本にせずにはいられない、というほどのものであります。
以上のような私なりの姿勢に基づいて、今回はケンシロウとサウザーの両者のそれぞれの視点からも、いかなる気づきに学びが得られるであろうか、と言うところがまず第一にあります。
今までの話の流れよりまとめてみると、そのケンシロウとサウザーそれぞれの立場から見たこの死闘というものは、ザッと以下のような感じではあります。
まずはケンシロウの立場ですが、北斗神拳伝承者としての神髄たるものは、悲しみを背負う事によって怒りを無限大に解放し、真なる強者の境地へと導かれていく、という風なところであります。
一方のサウザーとしては、生まれつき孤独で肉親も兄弟もなく、一切の悲しみや情けというものを斬り捨てることによって非情の使命に目覚め、この乱世においてはラオウともまたまた大きく異なった姿勢で覇権を目指して生きてきたのであります。
したがって、このケンシロウ対サウザーの両者の視点から、愛や悲しみそして非情さというものが「北斗の拳」の作品においては、如何なる存在であるのか、という事を今回の記事にて新たに発見できるのでは、と私なりに考えております。
ケンシロウとサウザーの対決で悟った、愛と非情の紙一重の大きさ
いよいよケンシロとサウザーの対決が本番を迎えようとしたその直前に、サウザーの正しく知られざる生い立ちというものが、まさに暴露される場面に差し掛かったのです。
人質として並んでいたある一人の少年が、隠し持っていた武器を取り出しサウザーに捨て身で襲い掛かりました。
まさにその姿を見て、サウザーはこの少年のシュウへの愛というものが、ここまでその穢れなき幼心までをも狂わせてしまうのだ、という事を悟ったのです。
そしてさらにサウザー自らの証言により、彼自身の非情路線を突き進むことになった原点というものが今まさに暴露される型となったのです。
サウザーは元々孤児として彼の師となるべく南斗鳳凰拳先代伝承者であるオウガイに拾われ、我が子のように育てられました。
その愛情のこもった過酷で容赦なき指導にサウザーは物心つく前より長年に渡って耐え続け、見る見るうちにサウザーの鳳凰拳は上達していきました。
そしてサウザーが15歳になった時に、それまでの中で最大の情け容赦なき試練と出くわしたのです。
その試練とは、何とサウザーにとって唯一無二の愛情を注いでくれた恩師であるオウガイを倒す、というものでした。
このサウザーにとっての試験たるものは、目隠しをして気配だけで自分を襲ってきた相手の動きを感じ取る、という恐るべきものでした。
結果的にはサウザーが見事に勝利し、正式に南斗鳳凰拳伝承者として認められたのですが、唯一の恩師であるオウガイをわが手により葬り去ってしまった悲しみは、例えようもなきものでした。
正しくこの試練を機会に、サウザー自身が一切の愛や情けを捨て去ってしまったのです。
以来孤高の帝王として覇権を目指す決定的な動機となった、そのサウザー自身の悟りたるものは、以下の通りです。
人は愛によって苦しめられ、そして悲しまねばならない、と。
それほどまでに孤高なる非情さを譲ることなく、帝王として覇者となることこそが我が生涯の使命だとどこまでもその意思を貫き続けるサウザーに報いるべく、ケンシロウが愛のために全身全霊を込めて決着をつける意思を表明しました。
このケンシロウのまさしく愛のために全身全霊を込めた闘いへの姿勢というものが、サウザーの拳の鋭さに圧迫されながらも今まで誰もが理解不能だと言われていた、サウザーのある大きな謎を解かせたのです。
その結果論としては、サウザーの心臓の位置そして経絡秘孔の位置もそれに伴い常人とは真逆であったというものでした。
ここでなぜ、ケンシロウは誰もが不可能だと言われ続けてきたことを実現出来るようになったのでしょうか?
ケンシロウの北斗神拳伝承者としての、技能が誰よりも飛び抜けていたからでしょうか、それともケンシロウ自身の天賦の資質によるものでしぅか。
実は私はそのいずれでもなく、ケンシロウの愛そして悲しみを背負う姿勢そのものにあると考えております。
やはり魂というものはいかなる限界をも打ち破る、という事がこの絶対不可欠な最大の決着場面のクライマックスにおいて実証された、と語るべきものであります。
この決着場面の最後の最後においては遂に、サウザー自身も潔くケンシロウのその資質を認めた上で、愛や悲しみを乗り越えてこそ人は強くなれるのだ、という事を同時にケンシロウから教えられたのです。
こうして愛深きゆえに愛を捨てて非情に走ってきた、その悲しきサウザーの生涯が聖帝十字陵に安置されていた自らの師であるオウガイの遺体のそばで温もりに触れながら幕を閉じたのです。
以上のようなところが、愛や悲しみを背負い続けながら闘い続けていくケンシロウと、誰よりも愛深きゆえに愛を捨て、非情の生涯を歩み続けたサウザーとの決定的な違いでした。
まとめ上げるならこここそがまさに、紙一重の大きな違いであったな、という事が見えてきたように私は考えております。
さらには今回のケンシロウ対サウザーの最大の決定的な場面においてまた、私なりに発見できたことがあります。
というのは、愛や悲しみを背負うことにより真なる強者へと導かれる、という発見に完結せず、言い換えれば愛情か非情か、等という枠を遥かに超えた視点からも見つめ直す価値がある、とも私は気付かされました。
振り返れば、ケンシロウ自身それまでこのサウザーはじめ例えばシンにラオウ、といった少なくとも自分の実力以上の強敵達との対決の場面を生き抜いてきました。
その結果、ケンシロウは今回の絶対不可欠な一大場面であるサウザーとの対決が、更にケンシロウを躍進させてくれる節目になったな、という事も教えられたように感じております。
今回紹介した「北斗の拳」のアニメのご視聴については、こちらよりお願いします。👇
※以上に紹介した内容としては、「徳間書店」より2004年に初版発行されたコミックからの情報です。
したがって、アニメとは場面が異なる場合もございます。
名作ぞろいのU-NEXTなら、31日間お試し期間付きで、ポイントも有効活用できます!!
月額利用料金は、2,189円(税込)です♪