北斗の拳
「北斗の拳」なる、生まれて始めて巡り合った、カッコ良い存在
私が「北斗の拳」を知ったあの時のことを語っていくに当たっては、ここで1つ考え直したいことがあります。
というのも、
私自身が生まれて始めて知った、この世で最もカッコ良い見本の1つである
という真実です。
言い換えれば、
人は誰しも、この世に生を受けて以来、何らかのカッコ良い、憧れ的な存在を避けては通れない
とでも言うべくでしょうか。
勿論、人それぞれ各々の憧れ的な対象は異なるはずですし、本サイトの主人公である主人公・ケンシロウに対して憧れを抱き続けているのもまた、私だけではないのは、言うに及ばずです。
こうして、何よりも私達の世代的にもリアルタイムにて実体験した、あの頃の出会いの感覚の持主であるがゆえに、その立場的にも世代の枠を遥かに超えて、無敵なる主人公の語り部として何を伝えていくべきか、というところでもあります。
あくまでも、この「北斗の拳」及び主人公のケンシロウに、その関係者であるラオウやユリア、その他のライバル達に関連する投稿者は、ピンからキリまで存在します。
したがって、私としてもその投稿者達にも引けを取らないだけの、恥ずかしくない話題を提供するためにも再度、というか何度も何度も
いかにして、「北斗の拳」の物語のカッコ良さはどこにあるのか、という風な課題と向き合い続ける
だけの心得を崩しません。
「北斗の拳」に見出す、本物のカッコ良さとは
本サイトの無敵なる主人公をこれから末永くかたり続けていくためにも、ここでまた1つ私の方から見つめ直したい点があります。
というのもズバリ!!
ただ単にリアルタイム世代として、面白おかしく楽しんで見どころを語るだけでなく、その向こう側に隠されている上辺だけではないカッコ良さ
とでも言うものについて、模索していく重要性がある、という事です。
ここで今更ながら考えてみたいのですが、
なぜあれほどまでの極限とまで言えるような場面の数々であっても、カッコ良い憧れの存在として数十年も支持され続けてきたのか。
それもいきなり、暴力や殺戮、身体を破裂させるような場面が通常化しているような作品であっても、ケンシロウの生き様こそが我々の手本として学ぶべきとして、次々と出てくるわけです。
その当時の大衆の反応でいうと、直接テレビ局には苦情は来なかったものの、例えばPTAなんかでは「子供達に悪影響を及ぼす番組として、見せたくない作品」として取り上げられたことがあるらしいです。
にも拘わらず、「北斗の拳」自体が少なくとも1つの文化作品として認められたからには、それだけ揺ぎ無き本物の証が、あれから実に数十年間もの時を経て受け継がれているわけです。
確かに今日のエンタメ業界では、二度とこのような作品の制作はあり得ない、だとか、あの頃の作品は今時の番組と違って、魂がこもってたよなぁ、みたいな過去の懐かしさに浸るような声も少なくはありません。
勿論、私自身としてもこのような感覚は例外なく存在してはおりますが、ただ単にそれだけに完結してしまっては、「北斗の拳」なる主人公を通じて、本物のお手本とは何か、という課題を発見していくことは出来ないとも心得ております。
今こそ、天下無敵を声高に唱えようとする、私なりの動機
第一に、本サイトを訪れてしょっぱなからいきなり、無敵だ、無敵だ、と唱えるこの私に対しては、「こいつ一体何者なんだ!?」みたいに不可解に思われるかも知れません。
それでもなお、私自身がいかに偉そうで得体の知れない存在だと思われようが、
何らかのお手本として価値のある話題を提供していく
そのための一環として、
無敵こそが、本来の我々のあるべき姿である
という風なところが、少なくとも今もっての私なりの揺ぎ無き心であります。
ここで、私が考える天下無敵とは、あくまでも完全無欠で負け知らず、というほどのものではありません。
よくよくケンシロウは、
たとえ最強ではなくとも、無敵の主人公である
とも教えられてきました。
なぜなら、ケンシロウは救世主としての使命を極めていくためにも常に、
俺は自分よりも強い漢達との死闘を生き抜いて来た
と語っている通り、文字通り生死の狭間を見切ってきたのです。
そしてその生き様こそが、宿命の強敵としての一大主人公であったラオウとの、天下分け目の闘いにて勝利に導いたのです。
また、ケンシロウはぶつかり合ってきた強敵達からは時として執念というものを教えられ、またある時はこの世を平和に導くためにも、如何なる究極な場面であっても生き抜くことを約束してきました。
という事で、私なりに唱えるところの天下無敵としては、特別な飛び抜けた何かが必要だ、という事ではないのです。
このまさにケンシロウが示したように、如何なる過酷で凄絶な環境のもとにあっても、決して諦めずに進んで行こうとする、不屈の姿勢にある、というところです。
それもただのきれいごとではなく、さっきから言っているように、
本物のカッコ良さこそを教えてくれるまさしく天下無敵の物語こそが「北斗の拳」である
と訪問者さん達と共に信じて、私としてもさらに高い課題を発見しつつ、価値あるお手本を発信していければ何よりです。
「北斗の拳」の中からは、この闘いの場面を厳選です
よって最後には、「北斗の拳」における強敵達との死闘の中で、本サイトが厳選し尽くた対決の場面を、下記に紹介していきます。
その1は、ラオウとの宿命の最終対決です。👇
https://mutekibushi.site/2019/08/05/
この闘いでケンシロウは北斗神拳伝承者として、此の世に平定をもたらすという宿命を全うし、生涯最大の強敵であったラオウもまた、その世紀末覇者として高潔な最期を遂げて天へと昇りました。
その2は、ケンシロウにとって最初の強敵となった愛に殉ずる星の男・シンとの対決。👇
https://mutekibushi.site/2019/06/28/
シンはケンシロウを打ち破って恋人のユリアを連れ去るも、彼が教えた執念にも勝る怒りにより、ケンシロウの北斗神拳の前に敗れ去りました。
彼との死闘物語こそが、「北斗の拳」の宿命の闘いの始まりであっと、認識すべきところであります。
その3は、非情の帝王・サウザーとの対決場面です。👇
https://mutekibushi.site/2019/06/12/
南斗鳳凰拳伝承者となるために、自らの師・オウガイを非情の手に賭けてしまった悲しみより、生涯孤独の独裁の星の宿命を背負い、非情の限りを尽くしたサウザー。
一度はケンシロウを破り、そして仁星のシュウを人柱にして聖帝十字陵を完成させるも、愛と悲しみを背負ったケンシロウにその体の秘密を見抜かれたサウザーは北斗神拳の前に敗北してしまいました。
そして最期は愛を教えられ、自らの師・オウガイの遺骸に抱かれるようにして、息を引き取りました。