アイアンメイデン
本サイトにおける、「北斗の拳」と同じくこれまた絶対不可欠な、英国が全世界に誇るヘヴィ・メタル文化の唯一無二なる孤高のカリスマ、アイアンメイデンについてお話しさせていただきます。
「彼らがいなければ、ヘヴィ・メタルどころか、今日における音楽業界は大きく異なるものになっていた」と言っても的外れではないほど、その先駆者的なもはや新文化の発明家と称するまでに、偉大なるものであります。
言うまでもなく、このアイアンメイデンもまた無敵なるカリスマとは唱え続けた上で、その歴史的最高傑作達をこれでもか、これでもかというほどまでに、本サイトにおいては語り続けて来ました。
そのアイアンメイデンが先駆者的存在として、最前線に姿を現わし始めた時期としては、80年代幕開けにイギリスで巻き起こった「N・W・O・B・H・M」という、歴史に語り継がれるべくムーブメントにおいてでした。
当時としては、文明的にはまだまだ世はアナログ主流の文明期であり、我が国においても例えばラウドネスのような存在がまだまだこれから狼煙を挙げようとしていた、いわゆる「開戦前夜」的な状況でした。
そんな一時期において、アイアンメイデンとしてははるかに時代を先取りした、斬新な感覚を音楽業界に持ち込んでおりました。
この感覚こそが、まさに後世において頭角を現し続けてきた例えばハロウィンを始めとしたドイツのヘヴィ・メタルのニューウェーヴ達にもまた、大きな影響を与え続けてきたのです。
勿論、この影響を受けてきたアーティスト達は彼らのみならず、全世界的にもピンからキリまで、という型でもあります。
つまり、本サイトとして今改めて考え直してみたとしても、アイアンメイデンなる存在は、今まで私が認知してきた以上にはるかに大きいものだと、思わずにはいられません。
それでは、肝心要のアイアンメイデンによる音楽性の醍醐味としては、どういうところにあるのでしょうか?
確かに彼ら自身としても、名曲達の世界観に関しては、例えば宗教に戦争、果ては人間の犯す不正等といったテーマを描いていると証言していたこともあり、こんな言い方をすればいかにもヘヴィ・メタル文化というものが、人類社会に於ける闇世界を強調したものである印象を受けるかも知れません。
しかしその一方ではまた、彼らなりにはヘヴィ・メタルという、本来アングラなジャンルとして世間から取り扱われてき音楽文化を、多くの民衆が慣れ親しめるような型で提供し続けて来てくれた、という風なところであります。
言い換えるなら、ヘヴィ・メタル文化のその世間からの決定的な先入観を、ことごとく覆してくれた、文字通りカリスマ的変革者でもあった、といっても的外れではないはずです。
★アイアンメイデンという、孤高なるブリティッシュドリームのお手本
私は本サイトにおいてはまた、アイアンメイデンは屈指のブリティッシュドリーム実現者という風にも形容したことがあります。
彼らが世に送り続けてきた歴史的最高傑作達における、誰もが真似できそうで出来ない音楽性。
それらの音楽性と併わせ、全世界において披露し続けてきたライブパフォーマンスの数々。
どの角度から見ても、その先駆者的な資質は、あくまでも古今東西における不可欠なお手本的なものとして、語り継がれてきました。
そして今なお頂点を極めつつも、更なる新境地を開いて行かんとする、その無敵なるカリスマなりの生き様には、頭が上がらないほどでもあります。
従って、上記のような視点よりアイアンメイデンなる孤高のカリスマを眺めて見ても、ただ単に音楽業界における一大成功者、であることに完結してしまうのは、あまりにも勿体ない、というものであります。
即ち、アイアンメイデンのみならず、成功者と呼ばれる存在たるもの、あくまでも業界や世代などと言う枠を遥かに超えて、愛され続けるものでもあります。
そういう意味からして、アイアンメイデンはただ単なる無敵のカリスマという愛称に完結せず、誇り高き「ブリティッシュドリーム」の実現者であると言い換えたいのです。
したがって、このアイアンメイデンなる存在が、揺ぎ無き本物である証拠として、私カリスマ継承漢なりにもあくまで高き誇りに基づき、今まで語り続けて来ました。
無論、この姿勢は今後たりとも変わるものではありません!!
★アイアンメイデンなる、飽くなき挑戦を辞さないカリスマ的な生き様
またここで、なぜアイアンメイデンが過去数十年にも渡り、常に最前線を走り続けておられるのか。
私としてはこの真なる理由については、それまでのキャリアにおいては常に「飽くことなき挑戦を続けてきたから」という風に考えております。
これまた過去の記事においても紹介しては来ましたが、アイアンメイデンはアーティストとして成功したのみならず、その他多角的なビジネスにも着手し続けて来ました。
よく我が国のタレント達でも、芸能活動と並行しつつ飲食店なんかを経営している人物は少なくありませんが、このアイアンメイデンが手掛ける事業にもまた、彼らの本物としての生き様が実証されているものです。
ブルース・ディッキンソンがパイロットとして、イギリスの航空会社で活躍したり、果てはアイアンメイデンオリジナルのブランドビールを手掛けたりと、その度重なる英断力こそが、彼らの美学でもあるといえます。
いかに世界的な大成功を実現したとしても、そこに胡坐をかくことなど決してあり得ず、フロントマンのブルース本人としても、インタビューにおいては「私に引退はあり得ない」と、固く誓っている限りです。
こういう風な、アイアンメイデンなりのサクセスストーリーを紹介すると、恐らく「彼らは俺達とは、持って生まれた才能が大きく違うからなぁ・・・・・・」「カリスマ、カリスマって連呼されても、何か特別な手の届かなさそうな存在だろ?」等と言いたくなるかも知れません。
しかし、ズバリ言ってしまえば、彼らとて決して特別な存在ではないのです!!
むしろここぞ!! という時に、常に何かにつけて我々のお手本となる生き様を示してくれて、混迷し途方に暮れるようになっても、いかにどん底にあっても本来あるべき自分自身に立ち戻らせてくれる。
そういう意味では、むしろ無敵なるカリスマとは、誰しもを平等に導いてくれる、大きな存在であります。
カリスマ的な美学とは何か・・・・・・。
この問いに対しては、本サイトでの私が語り続けている記事において、アイアンメイデンが痒いところに手が届くまで解答を示し続けてくれているはずです。